なぜ、コペルニクスは水星を見られなかったのか


2011年12月19日06h06m「電線の間、雲の下に水星」
昨日は辺り一面真っ白に霜が降りていましたが、
今日は、まだ暖かい方でした(とは言っても手がかじかんで思うように構図が決められず)

天文書等には
水星が見づらいたとえに
「あの地動説のコペルニクスも水星を見ていない」と表現されます。


いったい何故?


当時の天文予報(星の位置)が目視だけによる読み取りのため、
日食にしろ月食にしろ、誤差が生じていました。
そのため特に太陽に近い水星の予報を立てるのが非常に難しかったからです。
そんなことを知らなかった時に水星を見るにつけ
コペルニクスよりも凄い」などと思っていましたが、
実際には現在はコンピュータや惑星の運動(からくり)なども理解されるようになり
情報の発達により空を見上げさえすれば誰だって簡単に見つけることができるようになりました。
そういった当時の状況と現代の違いを解説している本はほとんど見当たりません。


だからコペルニクスが水星を見ることができなかったのは、
当時を知っていれば、その困難さが理解できようものです。

12月23日には、
2011年度中もっとも日出/日没時の高度が高く、
水星を見るには条件が良い「西方最大離角」になります。


西方最大離角なので「日没時の西の空」と思われることもありますが、
これは「太陽の西側」という意味なので、
実際には日の出時の東の空に見えています。
また、南東の空には土星(黄)とスピカ(白)が並んでいます。